↑ 1997年館山基地に展示された第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1S/73469
↑ 1997年9月の三沢基地航空祭に展示された第2対戦車ヘリコプター隊のAH-1S/73472。
↑ 1997年木更津駐屯地における観閲飛行で、大挙して舞い上がるAH-1Sの群れである。第1ヘリ団の本拠地である木更津で、主役に負けない存在感を示す対戦車ヘリ部隊として、観閲飛行終了後の展示演習でも大いに息を吐いた。スライドフィルム時代は、迷彩色の暗い機体に書かれたシリアル番号や機番は読みにくかったが、手前に写る73418/73424の2機だけは、番号が読み取れた。
↑ 展示訓練では編隊の体形で低空旋回を見せるなど、昨年まではみる事ができなかった部隊運用の一端を見る事ができた。
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↑ 1996年木更津駐屯地の航空祭で、第4対戦車ヘリコプター隊のハンガー前に駐機していた同隊のAH-1S/73422。木更津 第1ヘリ団の主役もすっかりCH-47に置き換わっている。
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木更津の第4対戦車ヘリコプター隊の編制完了後、1994年3月に最後の部隊として明野駐屯地に第5対戦車ヘリコプター隊が創設され大凡2年をかけて同隊は完結している。AH-1導入計画当初は、北海道に2部隊と東北に1部隊しか予定していなかった対戦車ヘリコプター隊は、九州までの全国で5個飛行隊 100機を擁する布陣となったのである。1994年にはOH-6に変わる国産のOH-1のモックアップが公開され、1996年に最初の試作機がロールアウトする。このOH-1はAH-1S同様、将来の攻撃ヘリを想像できる形態の大型の偵察ヘリであり、陣容の拡大に期待も膨らんだ。恐らく陸自における攻撃ヘリ部隊は1996年から2010年までの15年間に渡る全盛期の時代に突入して行く。(2025年9月 記)
↑ 1996年館山基地に展示された第4対戦車へり隊のAH-1S/73453。
↑ 1996年霞ヶ浦分校で展示されたAH-1S/73439。左側の武装ターレット(スタブ・ウィングとも言う)には、ロケットランチャーの他に、TOW対戦車ミサイルの4連装のランチャーが付いているが、薄い青色のものは訓練用のミサイルコンテナである。
↑ 木更津駐屯地に於いてAH-1Sの観閲飛行の際、先ず駐機ポジションからホバリングしながら低空でランウェイエンドに移動し、全体の体形を整えてから、他の編隊に合わせて飛び上がるのである。
↑ 1996年12月浜松基地に展示された第4対戦車ヘリコプター隊のAH-1S/73427。後方にOH-6Dの尾翼が見えるが、同じ部隊の機体であり、AH-1SとOH-6Dはペアで展示される事が多かった。